日本海からの荷が琵琶湖を経由して京都大阪へと向かう中継点として、今津には幾つもの旅籠や商店が建ち並び、港の宿場町として栄えていました。明治から昭和初期には湖西唯一の歓楽街でもありました。その時代の名残を残す建物がいくつか残っています。中でも福田屋は一番の店構えを誇り、今津のランドマークのような存在でもあったことが、幾つかの古い資料や写真でも伺えます。
これはこの福田屋を蘇らせるプロジェクトです。
建物を蘇らせとはそれを生きた状態に戻すことです。
それはただ昔通りに復元することとは違います。歴史的考証は当然ですが、それを超えて建物が生き続けてきたその芯の部分に迫ることが求められると思います。
多くの古い建物がそうであるように福田屋も幾代にもわたって少しづつ手直しされることで生き続けてきました。商家なら時代に合わせて外観を変えることも必要でしょう。福田屋の前の格子も柔らかい木から鉄に変わり、また木に戻ったり、帳場の周りの姿もいくども変遷しています。後ろの部分は後に建て増しした部分で、前の江戸期の建物とは立て方も素材も異なっています。
そういった移り変わりのダイナミズムを活かしながら修復にかかる必要がありました。
今津の旧街道沿いには旅籠が多くありました。表は街道に面して裏は砂浜から琵琶湖につながっています。 歴史あるその佇まいに泊まり、湖に照る月を眺めながら、波の音に眠りにつくのはまさに至福の宵でした。
街道筋の面影をうまく残して、ほどよいにぎわいを街に取り戻し、旅籠を蘇らせ、その至福の時を再現したい
それがプロジェクトの始まりでした。
いま、宿泊のスタイルも変化しています。大量収容施設だった時代は終わり、個人個人に合わせてデザインされた宿泊が求められるようになってきました。旅の宿泊場所ではなく滞在する事が旅の目的となるような流れです。「時」を味わう事の出来る宿が求められるようになってきたのです
今津の浜街道に「ほどよいにぎわい」を作りたいと私たちは思います。
伝統の商業主義的な利用が伝統を壊している例は多々見られます。「観光地」のわざとらしいフェイクを避けて「本物」を維持するには見合った「程よさ」が必要です。
かって福田屋は今津のランドマークでした。その輝きをよみがえらせることで、歴史ある高島の物語を紡ぎ続けていくことが出来ればと思っています。■